眼をあげて、手足を動かして、心に応えてみたい
閉塞感が覆っている!
―「諸規程」と「マニュアル」支配―
大歩危小歩危という徳島の辺境地があった。今は道路が改善され人気の観光地になっている。
呼び名の由来は、吉野川の岩場で、狭いところでは小さく歩み、大きな岩場では大きく歩まないと危ないぞとのことを、愛称にしたものだ。
わかりやすくて納得しやすい格言だ。目も、心も、頭にもすっと入ってくる言葉だ。
それに比べて、現代社会の規程群とマニュアル群は、頭から入れけど目も心も萎縮してしまうものだ。
先日、写真評論家福島辰夫さんから、写真家ロベール・ドアノーの言葉を聞いた。
「もし伝書鳩が、地図を読めるようになったら、方向感覚を失うだろう」
先日、吉本隆明がNHKで糸井重里と出てた番組で下記のように言っていた(やや不確実ですが)
「万葉集のような詩は現代ではでてこない。現代社会ではストレートに、恋や愛や自然の風情に添って生きていけない。体験や気づかいが多岐にわたりうすまっちゃうから万葉のような力強い大きな表現は生まれない。」
唐十郎は、昔、紅テント芝居の中で、独眼になった柳生十兵衛に言わせていました。
「剣の道を究めよ!と私を独眼にまでした柳生石舟斎よ!あなたは死ぬ間際、なんで《てけれっつ!のパァー!》と言って死んだんだ! 剣の道とはそんなものだったのか!?私の片眼をかえせ!」と権威権力を揶揄しました。
「規則・規程・順守・第一主義」「清潔・正義第一主義」
それにすがって生きてる「真面目人間?」
身体の中に心を閉じ込めて生きる誠実なヒト
この閉塞感が人生を萎縮させ、人間を壊す。
「ナンバーワンよりオンリーワン」を讃える者たちよ。
障壁の外にも絆を求めよ!障壁を壊せ!下からくぐったり上から越えたりして障壁をなくそう!
障壁のどちらにいても怖いのは同じなんだ!
五感六感心身を感じて生きよう!
少しぐらい間違ったっていいじゃないか
萎縮して死んで行くよりいいじゃないのか
目をあげて手足を動かして、心に応えてみたいと思う