日本独自の暮らしはできないのか
夢のような暮らしと国家だってできるんじゃないだろうか?
日本国は
一次産業のモノつくりに直接参加する暮らしを法令化したらどうか
我が国は四季があり、海山川、湖沼あり縦長の豊かな国土がある
それを多様な方法と多様なあり方で、楽しみ切磋琢磨する社会運動を!
家族・チーム・ぺあ・・・職場単位とかではなく、新しい仲間と社会的上下関係を超えた組み合わせで生き甲斐暮らし体験を!
農家、農事組合、花卉園芸クラブ、野菜作りクラブ、釣り・漁クラブ、料理クラブ・・・・
自分が参加したら、農家や漁業者を商品相場で振り回させない・・・
自然の恵みを受け入れて自然とともに旬の食を生産する
自然にそった生き方を体験する
自然がもたらす災害からは最小限の防備をし、過大なシェルターは作らない
気候、太陽、月星、雨風、土、肥料、道具、歴史など・・学問し現場を身をもって認識すると
互いに讃えあい、反省しあい、積み上げていく喜びを産む
直接参加しない者には、気の毒だが収入に見合った高額な罰金で参加してもらう
「地域の食糧自給率」を100%前後にし
余ったら加工保存して貯留したり他と交換する
不足したら2割程度ならみんなで我慢しあう
この運動のための移動費用はすべて無償にする・・高速代、電車バス代、宿泊費・・・
工業生産などは半分以下にする
今の「スローライフ」は恵まれた人のものだが、目指すは皆の「スロー国家」=豊かな社会だ。
世界の国家間競争に耐えられる、すぐれた軍事、経済、政治、教育に加えて、他国民がうらやむ社会構造を作りあげたいものだ
今世紀の現代都市は生産性を高める構造へと改造されてきた。大型ビルの建設ラッシュだ
俯瞰してみると・・・
「会社に行き易く、働き易く」をベースに、遊び場、住まいを張り付けていく・・
丸の内、六本木ヒルズ、ミッドタウン、新宿、渋谷、青山などの中心?市街地は衣食住遊の高級消費を誘い
周辺駅ビル群、スーパー、ホームセンター、マンション、建売の郊外?住宅地は家庭生活便利消費を誘う
豊かな自然に隣接した「地方都市」は廃れ、暮らしの文化が消滅する死の街へ
豊かな自然は「観光地」=「瞬間慰安処」となり都市の添え物に堕ちる。
目先の競争と変化が激しいばかりで100年の計がない。
誰もが、都市が満たしてくれる欲望と、自然が満たしてくれる欲望が充足できる・・・・「両方を手に入れる」ことができたら幸せなのに!
常に相反するものを持つことが・・・
その反するものの中で揺れながら生きていくことが本来の姿のように感じる
バリの芝居・踊りでは「善なる真面目な王子」と「悪なるやんちゃな族長」が戦いを繰り広げ・・・最後は・・・引き分ける
親鸞は「善人往生す、いわんや悪人をば!」と言い放つ・・・善人で生きられた人が往生できるなら、悪人で生かされたものは往生してあたりまえじゃないかと言い放つ。
マイナス極とプラス極。陰と陽。N極とS極。男と女。老と若。天と地。海と山。水と油。死と生・・・・・・
初めと最後は「ゼロ」だ。
生命あるものは死に向かっていくのが当たり前・・死は次代を生み出す・・
人も国家も人類も・・すべての物は、生まれ・育ち・老いて・朽ちていくめぐりの中にある。・・・・・地球や宇宙でさえその中にある・・からほっとする・・
人の生命は100年以下だし、微生物に至っては数秒の一生涯のものもいるそうだ。
誰もが、今だけが好く自分だけが善いようにと考えて行動しているだけじゃない。すべてのものがつながり一体としてある・・・と感じる瞬間がある。
真実を知りたいし、伝えたいし、多くの仲間と繋がり、気持ちよく生きていきたいと願っていると思う。