学生合同写真展2006
「学生合同写真展06」が工学院大学1階アトリウムで開かれていた。、膨大な量の写真群がびっしりと広い会場に張り付いていた。
工学院、早稲田、白百合、文女、法政、明治、女子美・・28校が参集し、
「この半年間に、私たちは一人一人が持ち寄った数万枚に及ぶ写真と向き合い、話し合い、また、セレクト・レイアウトの過程を通じて、それぞれの写真への新たな予感を感じ合うことができました」・・・チラシより
徹底して写真と向かい合い、受け容れ、咀嚼し続ける、写真評論家・福島辰夫先生の参加で・・写真群は現代日本の学生の「言霊」を発していた・・
その声をうけて感じたことがある・・・
ひとつは・・名前がおしゃれで、モノセックスなこと・・
ひとつは・・優しく・すなおで・いっしょうけんめいで・ちょとさびしい頑張り屋の写真群だ かなり親切で上等な人柄、繊細で優しい性情の写真群・・・
自身にこだわる若さ(わかさ)が地上に漂よい、互いに認め合っている・・・確かに「若さは在る」が・・・それはすばらしいけれど・・・
此処には、「ただならぬ怒り・恐怖・悔恨」と向かい合う気配が見えない!
なぜだ!生きることはもっともっと激しいことだと思う!
屈折し・屈折し・くっせつし続けると角が取れて、丸く丸く自身を作り上げていくのか・・
この写真群への違和感が消えない・・世の中はこんなんじゃないぞ!と思う・・
自分自身が「守られた社会」にいるからなのか?・・自分自身を守ろうとして「此処」にいるのか?
でも、いくつかの写真は、優しげだが、生きる力を、したたかなポジションを、持ち始めている・・・
それぞれがいろんなやり方で娑婆と生命とをいとおしみながら、互いに生き抜いて、認め合って欲しい!
自分も世界も、宇宙もちっぽけな存在だし、同時に永遠の存在だと思うから・・
昔詩人が「いま真綿にくるまれた幻の都市を視た・・」と書いていたが・・
今はなんと書くだろうか?・・「真綿だらけの幻の日本暮らしを看た」と書くのだろうか?
太宰は戦後の閉塞状況にあって「われ山に向かって目をあげる」と書いた・・
簡単に目をあげたら独りでヤバイと知っている・・この若者達のお手並みに期待したい