生命の巡り
週間文春9月25日号椎名誠「新宿赤マント」-今そこに危機がない危機―が載っていました。『メコン川ではラオスやカンボジアの子供達が水の中に潜って手製の銛で50センチくらいのナマズなどを沢山捕っていた。女の子も混じっている。滝をカヌーで下り,深さ10メートルぐらいのところを潜っていく。大人の引率者など誰もいない。 そんな風景をあっちこっちで見てきて、この夏いくつかの日本の川べりに行ったのだが、綺麗で浅くて小さな瀬が沢山あってじつに面白そうなキャンプ場の前の川に誰も泳いでる人はいなかった。聞いたら「遊泳禁止」だからという。理由は「危ないからだ」という。瀬といっても大人の膝ぐらいの深さである。淵はタイドプールみたいで面白そうだ。ぼくはその人が冗談を言っているのかと思った。けれどしばらくするとトラメガを持って腕章をつけた男が「川に入らないで下さい。小学生未満のお子さんは川岸から10メートル以内に近ついてはいけまさん」と叫んでいた。
山崎浩子さんが《禁止項目だらけの公園》というタイトルで「ほとんどの公園が、キャッチボール禁止、自転車乗り入れ禁止、犬の散歩禁止、花火禁止と禁止項目だらけだ。しかいこれではその公園に入ったら何もしないでただ呆然としているしかない。キャッチボールは球がそれたら確かに危ないかも知れないが、そこでキャチボールをやっていたら、人はそれを見て、もし球がそれてきたら危ないな、とある種の緊張感をもつ。周囲とのかかわりあいのなかでいかに行動するかという知恵や工夫が生まれ、問題にたいする術(すべ)がうまれるのではないか」と書いていた。 子供でもそれに直面すれば危機に対応できる能力はいくらでもあるのだ。日本はただそれを徹底的に国をあげて子供の頃から「無力化」する方向に強制しているだけなのだ』と書かれている
また6月3日の読売に『しのび寄る 食中毒』―「食中毒の初期、原因となる菌が分からない段階で抗菌薬〈ニュウキノロン剤〉がよく使われる。多くの種類の食中毒菌に効果があり、今、もっとも重宝されている薬だ。それが効果わ発しなくなる事態が起きた。」「問題が深刻なのは、薬が効かないというだけではありません。新たに薬を開発しても、それが効かない菌がまた出てくるというイタチごっこが怖い」「医療や畜産に薬剤や抗生物質を安易に大量使用してきた結果だと指摘する声も強い。ニュウキノロン剤の使用を制限する動きも各国で出ているほどだ。薬に頼り過ぎることへの反省が起きているとも言える。」
東京医科歯科大の藤田紘一郎教授は、以前から、〈薬頼み〉の風潮に警鐘を鳴らしてきた。〈のどがはれて痛い時にうがい薬を使うのはいいが、健康な時に使うと、のどを守る細菌まで殺す。普段から薬に頼りすぎると、人間本来の《自然治癒力》も衰える。」「コンビニやファストフードは控えめにし、穀類や野菜をできるだけ取るよう心がけるなど、日常生活の中で抵抗力をつけておくことは必要。それが自分を守ることにもなる」とありました。
ともかく時間のかかる手間のかかることよりすぐに簡単にというふうに目指してきた20世紀科学。面倒臭いこと、責任を問われる事を避けてきた分業行政。目先の収益とわが身の都合を優先させてきた商業主義経済。家庭菜園・里山・スローライフ・スローフード・循環型農業・派閥政治脱却・・・・・・・・・
21世紀はリセットの世紀だ。人の体も食糧作りも人知の及ばない自然のめぐりに反してはできない。自然を愛しおそれながら自然に共鳴する生きかた、作り方を目指したい。川口由一さんの言うように《一年草は一年の命を巡らし、二年草二年の命を巡らす》―それで良い。かく生きよ!ということなのだろう。