ヒト社会の出来事

人は何を求め何に熱狂するのだろうか。」
「無いものねだり」のあこがれと「深層の心情」との共鳴でヒト社会はうねり膨化し続ける?これはきっと「運命」なのだろう。

9月28日日経の春秋欄に昭和30年初版「悲しみよこんにちは」について、「ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に」の書き出しで始まる18歳の女性(サガン)の短編小説にあれほど人々が熱狂したのはなぜだろう――とあった。あの時代を懐かしく思い出した。あの時代、時代も人も「思春期」の「不安と希望」のじれったさに共鳴した。

「興福寺の鎌倉復興期のみほとけ」を芸大で見た。運慶の木彫の指手が実に美しい。立像の背肩・表情は深い悲しみを発している。餓鬼を足蹴にした四将、武器を持つ十二将は武力で周囲を威嚇している。毘遮那佛は私はすべてを容け止めているという面構えをしている。約1000年間たった今も現役のパワーを発している。
この時代、武家が覇権を競い殺戮を展開していた。親族同士の殺し合い。こめかみから頭蓋の後ろまで釘で打ち抜くまでの恨みを込めた殺戮を繰り返した。―そんな時期に、そんな時期だからこそ、この「みほとけ」に武家も庶民も心を求めた。
現在も優れた出来ばえだと感じるのは、1000年間同じ心情を人が持ち続けているからだ。

「衣食足りて礼節を知る」こともあるが「衣食足りることを知らず覇権を目指すアメリカ」は不愉快な連中だ。ブッシュもケリーもひどい顔つきをしている。先日の「たけし」のTVだとペンタゴンに突っ込んだのはテロ機ではなく米軍機だという。ありそうだから納得してしまう。人それぞれ役割がありと思った。実はブッシュも誰かの「使い走り」であり、ブッシュに対し指示命令する連中がいるのが解った。そいつらはいったい何者なのか!

組織化された国家や都市はコントロールし易いので「民主国家作り」にアメリカと「先進国」は驀進する。破壊力ある軍隊と諜報監視力ある警察と世論作りのマスコミを牛耳ればあとは「法」と「金」で生活まで縛れる。多少のはねっかえりは活力の証のようなものだ。
より多くの人を懸命に働かせて「富」を生産させて一部を「分け前」としてあてがえば再生産に向かって働き続ける。「金融」という率直便利な手立てでコントロールは更にやりやすい。通信とインターネットと交通網は地球の隅々までの侵略を可能にした。「利権は利権を追い続け」て目先の「富」をむさぼる。鎌倉期と同様にその立場にあると「いくところ」まで行くしかない!?

しかし誰もが「生まれ,生長し、老い、死んでいく」一回生の中にいる。
無謀な侵略を実行したりそれに対し戦うことをしたりするよりも、地球や宇宙の運行と共に暮らし、日々を受け入れて暮らす一生を望む人が大半だろう。その側に立って毎日自然のめぐりと暮らしの賑わいのなか生き死にたいものだ。
縄文時代以前に戻らないと1000年前でもヒト社会は殺戮史だ。だが縄文時代に遡った暮らしには戻れない。面倒だが今を生きることができるだけだ。
宇宙の巡り、人間界の巡り、植物界の巡り、微生物界の巡り、水の巡り、「私」の巡り・・・・無数の運行が一瞬のうちに変貌し重なり合う。
「今」は一瞬であり永遠だ。  合掌

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